おはようございます。
さて早速ですが、昨日は『0から1歩踏み出せないのは何だ?(自問自答編)』
を書きました。
20代前半の頃のボクは、『悩んでる』『考えてる』というのが口癖だった。
でも、本当の意味での『考える』ができていなかった。
まぁ、答え、結論を出さなくても日々過ごせてたしね。
そんなボクも、変わるきっかけとなったのは何かの答え、結論を出さなきゃ
いけない時があった。
曖昧にはできない。
適当に流すわけにはいかない。
昔、よくこんなことを友人と話してたことがある。
『死ぬ前に何を食べて死にたい?』
「あー、オレ寿司かなー」
「オレはラーメン」
「オレはカレーライスだな」
でも、実際は「何も食べたくない」というのが答えだと思う。
具合悪くて入院した時、ボクはフト『そんなことを話してたな…』
と思いだした。
『おそらく死ぬ前というのは入院してる。いま具合悪くて入院し
てるオレのような感じだ。そんなオレ何が食べたい?』
そう自問自答していると、一つの答えが出た。
『何も食べなくていいから治ってくれ』
これが答えだった。
ということは、きっと死ぬ時も具合が悪いんだから、何も食べたくない。
いや、食べれないというのが答えではないか?
というのがボクの考えた結論。
おそらく具合悪い時に食欲が無くなるのはボクだけではないだろう。
風邪で熱が出てるときだって『バクバク食べます!』って人はいないはずだ。
『死ぬ前に何食べたい?って、そんな遊びで言ってるんだから、真剣に
考える人いないよー』
と言った声が聞こえてきそうだ。
そう、真剣に考える人がいないんだ。
いま元気な人が『死ぬ』ということを想像しない。
だから本気で考えることをしない。
でも、それと同じように現状を把握しないと、現状から目を背けていると、
『死ぬ前に何食べたい?』の答えと同じように、安易に考えて終わらせて
しまう。
安易に考え、真剣に考えることをしないから、何をやっていいか浮かんで
こないし、わからない。ということになる。
少し深く考えてみる。
『いま自分は何を悩んでいるのか?』
『それがどうなったらいいのか?』
『そのために今の自分は何ができるのか?』
そんなことを深く考えていくと、何をやるべきで、何はやらなくていい
ことだというのがわかってくる。
パァーっと明るくなってくる。
この瞬間はとっても気持ちいい。
そして次の日、やるべきことが明確になったことで、迷いがなくなった
ことで、0から1歩踏み出していることになる。
この『深く考える』に使う時間を、一人きりになって2時間、3時間使っ
たところでもったいないことではない。
むしろ、使ったほうがいいくらいだ。
なぜなら、そうしたことで1歩どころかなん歩も進むから。。。
to be continued